セティ

妹の為、新しい制度を作ろうとした女王

プロフィール


 バルカムット帝国最後の女王。そしてバルカムット原理主義の創始者ではないが象徴となった人物でもある。

 モーゼの反乱を抑えきれず、アンデッドらの裏切り、そして諸外国からの侵攻とバルカムットの負の遺産を全て受け継いでしまっている。ギークへと嫁ぐことで戦争を終結させたほか、アンデッドを失ってからは損害を極力減らすよう指示を出したり、オークであったアグリストIIを最後のバルカムット人と認めるなど、バルカムット原理主義とは違い人道的な面を多数見て取れる。

 モーゼとの交渉が決裂した理由は、モーゼの要求を飲めば他のものの要求も飲まねばならず、国力の低下を招くのが目に見えていたためである。セティの時代ですでにほころびは大きく目立っていた。実際、広大な領地に対してまともに機能していた範囲は非常に狭く、ハッティを手に入れてからは海の民の抵抗により領地拡大も行き詰まりを見せていた。そのため、いくつかの土地や砦を放棄し、国土の縮小を進めていたところでもある。縮小を進めているところに奴隷解放を認めると弱体化を宣言するようなものであり、とても受け入れられる内容ではなかったといえる。

 ギークに嫁いでからもその振る舞いは高貴そのものであり、バルカムットの再興よりも、ギークの人々を愛し、惜しまれながら亡くなった。というのが表向きの話。

 実際のところ、ギークの王が彼女を要求したのは、その性技のうわさを聞きつけたためであり、そんな女を独り占めにしたいという極めて低俗な独占欲からである。結果として骨抜きにされてしまい、表面上はまともな執政を行うが、裏では従順な犬として生きる、バルカムット原理主義の調教の原型がここに出来上がる。彼女が淑女を振舞ったのは、バルカムット再興を心の底で強く願い、そのための種まきを地道に進めたためである。

 セティの死後、バルカムット原理主義は王族など表舞台に良く出る立場は危険であるとし、舞台裏を操れる程度の地位を残し地下へと潜り、裏組織としてその勢力をバルカムット地方全体へと広げていった。

受け継いだ負の遺産

 減らない物量によりいくらでも版図を広げられる性質を持つバルカムット帝国であったが、その生まれつきの戦略が強力過ぎたために様々な弊害をもたらしていた。特に内政の面においては他民族を人と思わず、さらに死体の方が価値があるという価値観から奴隷をさらっては使い捨てる習慣が根付いていた。

 当然、各地方からさらわれてきた奴隷らは反発を起こし、さらには契約を結んだ傭兵ですらも耐えかねてその反乱に手を貸すなど国土全体としてみれば常に内乱を抱えており、商業的な輸送などには大いに問題を抱えていた。

 他国の言葉を喋り、文字を理解できる人間すらも処理してしまう傾向から折角流入した他文化の研究も進まず、技術面などでは後れを見せつつあった。特に冶金技術において戦争状態であったハッティの鉄とバルカムットの青銅では話にならず、物量をもってしても食い止められる事態に遭遇しており、根付いている戦略の見直しが迫られていた。

 彼女の父親は伝統的な戦略をそのまま受け継ぎ、そして文化的な研究を求める声を無視しヤミを対ハッティの将軍として送り込み成果を出せずにいた。維持費が安いとはいえ、軍隊を動かすにはそれなりの費用がかかり、略奪の成果が上がらない戦争を大失敗であると批判する声が上がり始めた。

 先王を批判する勢力は他国の文化を求める勢力と手を結び、退陣を迫ろうとしていた。身の危険を感じた先王は、暴力的ではない文化的な側面を前面に出そうと画策し、まだ幼い10歳の少女であるセティを女王とした。本人は娘を盾にして裏から支配を行うつもりだった。

 セティ自身は異文化にも興味を示していたために文化を求める勢力との結びつきもあった。よって、これらの勢力の鎮火にも有用であろうとする目論見もあった。しかしセティが異文化に興味を示していたのはモーゼエルフの子である事実を既に知っていたからである。聡明な彼女は妹に危害が及ばないよう沈黙を保っていたが、万が一モーゼの出自がバレれば妹が使い捨ての奴隷にされるのではないかとする危惧から、なるべく異文化を取り入れるような方向で為政を進めようとした。当然であるが先王と衝突することになる。

 女王よりも隠居した人間の方が偉いのかという疑問を抱きつつ、同時にこういう人が一杯いて、妹を守るためにはそれら勢力を黙らせる強さとインパクトが必要だと考えた彼女は先王の弱みを探り、自身が彼を殺す大義名分をいかにして手に入れるかを水面下で調べはじめる。セティが行き着いた答えは、先王は自身を批判の盾にする負け犬であると言う事の喧伝と、そのような負け犬に傀儡にされるような弱い女王ではない事を示す事であった。

 結論にたどり着いた彼女はすぐに軍の掌握を始め、最前線に立っていたヤミがまず彼女に心服した。先王は強いバルカムットを作る事に前向きになったと喜んだ。娘の野心を見抜けなかったのである。

 軍の掌握が済んだ彼女は先王の粛清を決行する。なるべく他の者が心服するように考えた結果、まず口論で始末し、次に実力で始末する事にした。方針を決める会議の場でわざと異文化を大いに取り入れる方向性を示し、先王に反論をさせた。そしてその反論の動機を言い当て、弱い貴様に為政のナタを振るわせる訳には行かないと衆目の中否定する。

 激昂した先王は女王を裏切り者とののしり、衛兵らを動かそうとするがすでに掌握済みであったため彼らは動こうとしなかった。そこで先祖代々伝わる死体を動かし、セティを殺害しようとした。これに対してセティはそのアンデッド操作を奪い取り、逆に先王を殴り倒すことに成功した。先王の体から豪華な衣服ははぎ取られ裸のまま縛り上げられる。

 セティは兵士から剣を受け取り捕縛された先王に向けた。そして股間に生えていた陰茎を根元から切り落とし、落ちたモノを踏み潰した。先王はその痛みに耐えかねて気絶し、縛り上げられたままツィーツィの洞窟へ放り込まれた。その後の定期討伐において知性の無いアンデッドと化した先王を始末したと報告が上げられる。

 この事件によりわずか10歳の少女と侮っていたものは激減する。実の父親の陰茎を切り落とす残酷さとその剣技、軍の掌握を済ませる手腕と手順から垣間見える政治力の強さ、口論において大人を言い負かす聡明さ、先王と言う知性あるアンデッドからアンデッド操作を奪い取る力の強さ、そして何よりも10歳の少女がわずか数か月でこれらを成し遂げたと言う点は大きな衝撃を全土に与えた。

 あるものは称賛し、ある物は強力な政敵として認識し、彼女はこの儀式を以て「大人」として、そして「女王」として扱われるようになった。

モーゼの派遣

 姉に比べると妹のモーゼアンデッドの操作が得意では無かった。そのため、アンデッド操作の師としてヤミが選定された。これはモーゼセティ自身にとっての弱点でもあるという点、さらに元々セティが先王を殺害したのはモーゼを守りたかったからという動機、以上の2点から政敵が手を出しにくい遠方でかつセティ派の主力であるヤミが適任と判断し、彼女の元へと派遣されることとなった。

 セティ自身は、モーゼの安全が確保できる状況となればハッティ攻略をほどほどに切り上げ、適度な略奪ができる範囲の防衛を築くつもりであった。が、モーゼは予想外の戦果を持ち帰ってきた。先王が10数年、セティの代になってからも5年。約20年近く続けられた戦争をわずか1年で攻略して凱旋したのである。

 姉が妹の安全を確保するための準備は全く間に合わなかったが、この快挙はセティの戦略、モーゼの戦功として大いに称えられ、妹は無意識のうちに自身の安全を確保することに成功していた。

 以後は未知の敵との戦闘になる点、残党の討伐には船が必要で、かつアンデッドが水中では異常に弱く死体の活用が難しいと言う点から旧ハッティ領はヤミに預けられ、生きた人材の育成、そしてモーゼの最大の戦利品である戦術という概念の研究に力が入れられるようになった。

合同演習の開始

 モーゼの戦果を受けて戦術の重要さが見直されるようになり、定期的に全土から精鋭をあつめた合同演習を開催し実際の効果が研究されることとなった。実際にその戦術を目の当たりにし痛快さを覚えたヤミも合同演習には前向きであり、自身のアンデッド軍団強化のため参加を申し出た。

 演習においては生きた人間同士による木製の武器での模擬戦と、ヤミの率いるアンデッドとの戦闘が行われた。

 この演習を実施して以降、参加者らの持ち帰った戦術は概ねよい評価をあげた。元々損害を気にしない性質の軍ではあったが鎮圧が目に見えて早くなった点は高く評価されることとなった。特にアンデッドを使えず損害を出してはならないツィドユウ討伐隊においては大いに歓迎され、これまでよりも高い成果を出せるようになった。

石の船計画

 領土拡大の意志は低かったセティであったが、ハッティの残党である海の民により海運を阻害されており、内政の為には彼らの討伐は必須であった。

 海の民の活動を許してしまっているのもハッティの残党に追撃をし損ねたのも、アンデッドが水に浮かばないためであった。これまで陸戦しかやってこなかったため海戦にここまで弱いとは認識しておらず、船の機動力の低さ、船が小分けであるために1体の死体で作り出せる混乱が小さいなど、様々な問題点が浮き彫りとなった。

 ヤミ領と本土との輸送において海運の重要性も増していたために海軍の増強が検討され様々な案が出された。

 中でも火矢による攻撃は積み荷ごと失う事になったため火に強い船の建造が求められ、セティの発案である石を船にできないかの実験が開始された。浮く石も有る事などから小型模型によるあらゆる実験が行われ、結論として形状さえ工夫すればいかなるものも水に浮かせることが可能であるとされた。

 ハッティから奪った製鉄の技術による鉄の模型、青銅での模型、石の模型、木の模型、いずれの場合も形状を整え浮かせることに成功した。ただし、鉄、青銅は素材が足りないため、巨石文化を活用した石の利用が提案される。

 いかにバルカムットが巨石文化を保有しているとはいえ、岩から船一隻をくりぬいて形状を整える作業には無理が有った。強度の問題も有り、5割以上完成した時点でヒビが入るなど量産はおろか一隻の完成すら不可能であり実物大の作成を多くの者が諦めかけていた。これを克服するためパーツ単位での作成、組み立てが提案されたが隙間が出来上がるため浸水を許すことになり、形状を工夫しても無意味であるという結論に達しこれもまた頓挫してしまった。

 頓挫してしまった計画ではあったが、見直しと再検討によって隙間さえ埋めれれば小型、中型の船が作れるのではないかと考えられ、隙間を埋めるのに最適な物の検討が行われた。様々な候補のなかで最もよい結果を出したのは粘土ではあったが、バルカムットでは粘土があまり多く取れなかったため、コスト面で量産が出来ないと言う事で却下された。

 この穴埋めのために提案されたものが死体の肉片の活用であった。幸いにと言うべきか、当時のバルカムットでは昔から使い捨ての奴隷と破損した死体、そして反乱を討伐した際の死体と死体には事欠かない有様であった。そこでこれら死体のうち労働に適さない破損の仕方をしたものをかき集め、その死体の山に接続面を「浸す」ことにより隙間を埋める手法がとられた。

 肉片そのものは水で洗い流されるが、アンデッド操作により生き返った物は活性化され隙間を埋めるために力をこめ膨張し、水をはじき出すことに成功した。操船時にそこそこアンデッドが使える人材を必要としたが、コスト面やリサイクル面などで他の案よりは実用性があると言う事で実験が前に進められた。

 なお剥きだしの肉片が見た目に気持ち悪く、潮風による死体への悪影響を考慮した結果、通常の船と同じように外装、内装には木材が用いられた。

アグリストIIへの期待

 内政において生産力を高めるには、現状の使い捨ての取り組みでは発展の壁が迫っていた。このため、奴隷に少しでも健康的な暮らしをさせ、奴隷の人口も増やせるようにとオークらの出産の施設を作るなど改革に手を付け始めた。当然大きな反発を招き、さらにはしっかりと命令が伝わらなかった経緯もあり家畜の交配のような扱いをさせるなど浸透はなかなか進まなかった。

 異文化交流を推奨する一派や、口の上手い人材を派遣し説得に説得を重ね、ようやっとバルカムット生まれの奴隷という存在が誕生しはじめる。もっとも、生まれて死ぬまで奴隷という状況もまたオークらにとっては希望が見いだせるようなものでも無く、極まれに酔狂な人間が兵士や護衛、情婦として取り上げる事がある程度のものであり、人権らしきものはほぼ存在しなかった。

 少しずつ、地道に進め、制度改革、説得を繰り返して改善されていく奴隷環境。その第三世代にあたる存在がアグリストIIである。

 モーゼが石切り場で虐殺を行った後、実験都市アグンヌにふらっと現れた王家の印章を下げたオーク。並の兵士より腕が立ち、宝物庫にしまわれていたはずのアグリストの槍を用い、バルカムットの問題解決に手を貸す存在。奴隷の立場を上げる必要のあったセティにとって、アグリストIIは喉から手が出るほど欲しい人材であった。

 差別、迫害される対象そのものであるオークが周囲から認められる為には実力を命がけで認めさせるほか無かった。幸い内乱は多く、戦う場所に事欠かなかったためいつでも戦場に放り込める環境ではあったが、その戦場で味方に殺されたのでは本末転倒である。よって、まずは小規模な部隊から信頼を集めるよう努めた。

 幸い彼が最初に立ち寄った街が実験都市アグンヌであったため、異民族に寛容なバルカムット人は抵抗なく彼を支持し、石の船での奮戦、合同演習での活躍を経てその存在は全土に知れ渡る事となった。

 残念ながらモーゼの帰還、そして奴隷を連れてのバルカムット帝国脱出の阻止に失敗したため国内の生産力が一気に落ちる事となり、それ以上アグリストIIの地位向上を計ることは出来なかったが海の民に降伏する際、彼を最後のバルカムット人として認めた。

 一連の行動は残された奴隷を含むバルカムットの民にとって手を取り合うよい前例となり、マムルークサイプラスの運営に大きな影響を与えた。

モーゼの離反

 エルフオークを受け入れバルカムット帝国の国力にしようとする政策の根本は、妹であるモーゼエルフの子だからであった。万が一妹の出自がバレても迫害されない社会を作りたい。それが彼女の願いだった。

 一方でモーゼは姉とは別の視点で自身の出自に悩んでいた。自身が迫害される事よりも、自身が出自を隠すことで守られている違和感に耐えられなくなっていた。

 これら二つの視点の食い違いはモーゼ自身による離反と言う形の悲劇を産み出す。セティにとってただショックでしかなかった出来事であったが、その時点ですでに妹の為だけでなくバルカムットの民のため、生産力の維持向上のため、差別の改善に取り組んでいたため事業を投げる事は無かった。

 王女であり、さらには大功績のある将軍の離反はバルカムット中に強い衝撃をあたえた。唯一の生き残りであったパクアヌラーにより伝えられた惨状と少数による砦の突破は多くの者に恐怖を与え、誰一人としてまともに追撃しようとはしなかった。

 死を誉とするバルカムット人にとって恐怖を覚えたがゆえに追撃が鈍ったケースは珍しく、これは相手がモーゼでは死してなお勝ち目がないと判断した者が多かったためでもある。また、大国であるがゆえに取り逃がしても攻められるような事態には陥らないとの思い込みも手伝い、形式のみの追跡が行われ国境付近で見失ったとする報告が上げられた。

 当のセティも、妹の離脱には心を痛めたが、新天地で新たな生活をするのだろうと考えていた。しかし、モーゼエルフオークの解放を掲げて舞い戻ってきた。王宮に単身ふらっと現れ、エルフオークを解放せよと要求を叩きつけたのだ。

 奴隷の地位を上げようとするセティにとって、彼らは現在も将来においても貴重な生産力である。よって当然この要求ははねのけられた。しかしモーゼにとってはこの交渉自体、強硬策に出るための手段であり最初から成立など考えてはいなかったのである。

 この交渉は断られるのが目的と言い放ったモーゼに対し、もはや姉妹として共に歩むのは不可能と判断したセティモーゼの殺害を決意し、首をはねるよう命令を出そうとする。がその命令を出そうとした刹那、遠距離からの狙撃がセティの真横に刺さり、女王の命を人質に取られる形となった。このため兵士らは意図を理解しながらも行動がとれず、モーゼは悠々と王宮を後にした。

 王宮を去った後に各地で奴隷らによる一斉蜂起が勃発。トリケゴへと集合をし始める。元々物量は多くとも部隊数の少ないバルカムット帝国では討伐、追撃に避ける指揮官の人数が足りず、多数のグループの合流を許してしまう事となった。モーゼの戦績、模擬戦での囮の使い方などは尾ひれがついて噂となり、現場の指揮官が警戒をし過ぎたのも一つの原因である。

 モーゼの名に臆さず、断固とした追撃を行えたのはセティ直属の部隊のみであるため、セティはまず出入り口となるワーゴ、及びその先の封鎖のためチェカヤミを派遣した。指揮官は少数と言えども兵力はほぼ無尽蔵にあるため、包囲殲滅であれば勝てると踏んだのだ。

 後続の集合場所が解るようにであろう、掲げられた巨大な松明メタトールを先頭に行進する姿はセティ側にも進路や所在の予想を容易にさせ、海へと追い落とすようモーゼ一行への追撃を行った。東へと移動を開始したモーゼ一行は海に行き当たることを悟り引き返してきた。セティはこの引き返してきた一行を広く取り囲み、翌日、夜明けとともに突撃を開始するため兵士らに食事と休息を与える。

 一方のモーゼメタトールが常に先頭にある物という思い込みを利用し、引き潮の夜の間に海を渡りきり、翌朝には対岸へとたどり着いていた。機動力を確保していた戦車はもちろん使えず、泳いで渡ろうにも泳いでいる最中に弓の的となるため追撃は断念を余儀なくされた。

 この離脱により、奴隷と言う大きな生産力を失う事になるが、セティによる奴隷の扱いの方針転換が無ければ奴隷は死んでも働く奴隷として保持でき生産力の低下は回避できたのではないかと考える保守層を中心に反発が広がり、セティの求心力は急激に低下を見せる。特に旧来のバルカムット帝国を好んだアンデッドらは多くが離反を開始し、各自が望む奴隷を手に入れやすい環境を求めて思い思いの場所へと去り、あるいは独立の為の反乱を開始した。

 このうち独立の為の反乱は、奴隷らの装備品が良くなっていたことや、モーゼから対アンデッド戦のノウハウが広く伝わってしまっていた経緯もあり、そのほとんどがオークエルフの手により自主的に鎮圧が行われた。アグリストIIの活躍により、彼らに対する風当たりが弱くなっていた事、また、戦力が大きく低下した状況では貴重な義勇軍であったため、各地の部隊で独自に編入が行われ、使い捨てではない非公式の傭兵部隊として活躍を見せ、彼らは後のサイプラスの風土の基礎となった。

 国力の劇的な低下によりただでさえ維持が困難であった広すぎる国土の放棄を決定。維持、管理できる大きさまで縮小を行った。なお、最終防衛の要地であったワーゴが陥落しており空白地帯であったため、ここは奪還、死守しなければ有利な条件での降伏が困難になると判断し、ゼーを中心とした最も実戦経験豊富なツィドユウ討伐隊を派遣し防衛に当たらせた。

降伏

 元々生きた人間の兵士数としては平均以下の人数で運用されていたため、軍事に使われる費用はそれほど大きくは無かった。しかし、生産力の低下により圧迫の割合も大きくなり、実質動かせる兵士数には限りがある中で海戦を中心に挑まれると戦線の維持も困難であった。

 幸い相手の船に死体を一つでも作ることが出来れば混乱を起こすことが出来るため、ジリジリと押されてはいたものの防衛自体にはなんとか成功を収めていたが制海権が奪われるのは時間の問題でもあった。ワーゴアテンの兵員輸送、物資輸送が絶たれれば、ワーゴの維持もままならず、陸戦の戦線が広がれば部隊数の差で敗戦は確実であった。

 少しでも降伏の条件を良くするための粘りではあったが、同時に降伏の機会を常に伺いながらの戦闘であり、セティに求められる戦略的判断は非常に大きなものであった。この機会を運んできたのは、バルカムット帝国が虐げてきたオーク、そしてセティが新しいバルカムット帝国の夢を託したかったオーク、すなわちアグリストIIであった。

 ヤミの救援に向かわせたが裏切りにより孤立したパハボトー隊。これの救援の為に単身乗り込み、イノと共に行方不明となっていたアグリストIIは槍の人の交渉により海の民に客人として迎え入れられており、その返還は海の民にとっても直接の対話を試みる良い機会と考えられた。

 セティはこの機会を逃さず、ギークの要求に激しく呆れながらも降伏を申し込みヘポロテルはこれを受諾。かくして戦争は終結し、敗戦処理として後日、セティギークの妾として移住が確定した。この際、アグリストIIデニアを道中の護衛として指名し、アグリストIIを最後のバルカムット人として、奴隷の立場から完全に解放を行った。

後宮での権力争い

 セティの嫁ぎ先であるギークでは「80近いババァを後宮に迎え入れる」という事で国王は気が狂ったのかと密かにささやかれていた。当の後宮では元国王だろうがなんだろうがギークではギークのしきたりに従ってもらうと、セティ迫害の為の計画が綿密に準備されていた。

 いくつかあった計画の中でも最も過酷であろう集団による暴行は、さすがに死が近いよぼよぼの婆さんには忍びないし勃つものも勃たないという冗談から取り下げられていたが、実際にその若々しい姿をみて暴力にも耐えられそう、暴行担当もあれなら勃ちますと判断され、護衛が離れた夜、数名の兵士による襲撃が実行された。

 彼らにとって誤算だったのは、セティが生粋のバルカムット人で、バルカムット人の哲学には「生身で強ければ強いほど死体としても強くなる」という発想からほとんどの人間が兵士としていつでも戦う訓練を受けていたことであった。セティは国王であるため万が一護衛が居ない場合でも戦えるよう多対一の訓練を重点的に行っていた。

 恨みや権力闘争に巻き込まれて襲撃される可能性は考慮していたため、数少ない荷物の中にすぐ組み立てられる感知用の罠を用意しており、それらの準備を想定していなかった暴行実行部隊は隠密行動に失敗。セティにその存在を気取られてしまう。

 ベッドを取り囲んだ兵士らが布団をはねのけるのと同時に隊長格が投げ飛ばされ、首の骨を折られて即死。死体が一つできればいつものバルカムット式である。一人を残して全員が殺害され、最後の一人は口を割るため逆に犯され骨抜きにされて首謀者である第三婦人の呼び出しに使われる。

 勢いあまってセティを殺してしまったため処理と確認をと誘い出された第三婦人は逆に死体に襲撃され犯されてしまう。一晩中セティの手管にもてあそばれこの世ならざる快楽を叩きこまれた結果、国王よりもセティに忠誠を誓う事となり、セティは1日で後宮の権力を掌握した。

 一番強い反発を見せていた第三婦人が猫のように懐くようになってからは、その若さの秘密が知りたいと夫人らが殺到。国王もあまりにも段違いの気持ちよさ、そしてセティと共に抱いた女たちが少しずつ若返り性技が上達していくだけでなく、自身の精力も増大すると大満足でありこれらを背景にセティはその権力を順調に増大させていった。

 これに危機感を覚えたのが正攻法で家を守ってきた貴族らであった。外国人であるバルカムット人の流入も多数見られ制限を加えるよう提案がなされるが篭絡された国王は一切受け付ける事は無かった。一方のセティは理解を深める必要があると考えたため、自身とアグリストIIの経験から国内の戦いを解決する方向で活動を開始。経費の問題でギークが泣く泣く放置していた盗賊の制圧を、選りすぐりのバルカムット人らと共に自費で行い民衆の支持を拡大した。

 討伐に赴く姿は女性の憧れとなり、男装が流行。後宮から少しずつ外部へと広がった若さを保つ秘訣は男女共に好まれ、バルカムット産の化粧品などは高く取引されるようになった。

 暗殺も度々発生したが、セティ自身の強さや護衛として常に侍ったイノの前に未遂、最悪の場合は盗賊扱いされ家が消滅する反撃を受ける事態にまで発展したため、最終的には誰一人として刃向かう物は無く、実質的な国王とみなされる事も少なくなかった。

国王逝去後

 セティが盗賊討伐に出ていたある日、妾の一人と新しい行為を試していた国王が腹上死したとの知らせが入る。

 国王の逝去後、その子が新たな王の地位に就いたが、この際にセティの権力は一気に増大する。まだ頼りない新王よりも国家運営の経験と実績があり、国内の人気も高いセティが仕事をした方が良い結果になりそうだという期待から自然と人と力が集まってしまった。

 本人はそれほど権力に執着していたわけではなかったが、おもねる者が多数現れたためマムルークとの交渉内容がかなりマムルーク寄りの内容へと変化していった。セティも好ましく思ったため、実務に当たる者などに元バルカムット人を多く割り当てた。

 ギークでもバルカムットの頃と変わらず政務を執り行い仕事が楽しくなってきた頃、マムルークよりデニアアグリストIIが訪問してきた。ティアマット決戦の話はセティも耳にしており、すっかり姿を変えた炎の剣と勇者に祝福を、そしてその浄化の為に結成された聖誓士団の支援のためギーク内の商人らからの協力を約束した。

 この時、セティデニアに子供がいる事を見抜き、子が生まれるまでは危険として両名をギークに留め置いた。また、炎の剣バルカムットの思い出として両名が滞在中は手元に置きたいと申し出て、出産に集中できるよう取り計らった。炎の剣はしばらくセティが背負い、たまに出る盗賊討伐において構えながら切り込んでいく姿はかつてのバルカムット人にはメタトールによる行軍を思い起こさせ、セティに憧れる婦人らからは同様の形状の短剣が流行する。この流行から炎の剣と同様の形状の武器が儀礼用に作られるようになった。

 アグリストIII誕生時には我が子のように喜び、バルカムット式の生誕の儀式を執り行い自身の血も分け与えた。王族と同等の力を得るに等しい儀式に対して、バルカムット出身の多くの者が厚遇し過ぎではないかと疑問を抱くが、当時はバルカムットの守護者であるアグリストIIへの感謝の表れとすれば妥当という結論が主流となった。

 後々判明する事であるが、セティ炎の剣アンデッド操作によりデニアを蝕もうとしていた事、真っ先に胎児が乗っ取られかねない状況であった事などから防衛のために力が分け与えられたものであり、炎の剣を預かったのも胎児を守るためであった。これはアグリストIIIセティの手記をイノより手渡された際に判明し、この手記は聖誓士団の資料として厳重に保管された。

 炎の剣の危険性を理解していたセティは、遺言によりアグリストIIIが歩けるようになるまではデニアアグリストIIの両名をギークに留め、その間炎の剣は宝物庫に「封印」するようにときつく命令を出していた。

他界と葬儀

 不老の特性を持っていたセティであったが、さすがに寿命に勝つことは出来ず84で他界。

 この際、葬儀の先頭にはアグリストIIが立ち、炎の剣の模造品を掲げて町中を進んだ。デニアはまだアグリストIIIから手が離せなかったため、セティの棺の横を行進した。

 先頭の一団はアグリストIIと共に炎の剣の形状を模した両手剣を掲げ、街道を守る兵士らも同様の武器を掲げて通るべき道と葬儀の一団を護衛した。規模は先王の物よりも大きく、バルカムットギークの民を問わず多くの者が喪に服した。

 この様式は、バルカムットにおける伝統的な行軍方であるメタトールを模したものであったが、炎の剣の形状を模した一団が儀礼的に美しいと評判であったため、以後、ギークの伝統として特に貴族など裕福な家での葬儀では個人の権勢を示すものとして好んで用いられるようになった。

 力ある王族の死体は突然周囲の死体を蘇らせて混乱を巻き起こすことがあるため、セティの遺体はバルカムット式に防腐処置などが施され、イノの手によりギークの王族とは別の地に埋葬が行われた。埋葬の地は伏せられセティの遺体がどこにあるかは定かではない。が、この時セティが持ち込んだとされる王族の守護者として使用していた死体も同時に行方不明となっているため、埋葬されているのではなく誰か(イノ)がその死体を保存しているのではないかとする説が有力である。

年表

10歳 セティ 第1年 ギーク歴 157年 女王に就任。傀儡にしようとした先王を逆に殺害し、名実ともに女王となる。
14歳 セティ 第5年 ギーク歴 161年 アンデッド操作の修行のためモーゼハッティ攻略軍に派遣。ヤミの下で修業を積ませる。
15歳 セティ 第6年 ギーク歴 162年 モーゼハッティを攻略軍。アグリストの槍を持ち帰る。ヤミに半独立の権限を与えた上で現状維持を指示。内乱の鎮圧に力を入れる。
22歳 セティ 第13年 ギーク歴 169年 石の船の計画が発動。なお当初は海運への襲撃対策として計画が開始された。
34歳 セティ 第25年 ギーク歴 181年 鎮圧を担当していた傭兵のカリコが差別の先鋭化及び味方に殺されかねない状況に耐えかねたため造反。モーゼにより鎮圧される。解体され各地の石切り場へ。
75歳 セティ 第66年 ギーク歴 222年 モーゼが石切り場にて反乱を起こし離反。行方不明になる。
77歳 セティ 第68年 ギーク歴 224年 モーゼが帰還し奴隷解放を直訴。交渉が決裂した結果、モーゼは大量の奴隷を引き連れてバルカムット帝国を脱出する。ヤミ等数多くの物が離反し、内乱の時代へと突入する。
78歳 セティ 第69年 ギーク歴 225年 海の民の降伏勧告によりバルカムット帝国は滅亡。アグリストIIを最後のバルカムット人として認める。後任をムタヤータメに任せる。イノを護衛として召喚。
79歳 - ギーク歴 226年 性技の伝授、及び若さの秘訣の伝授にて後宮をほぼ掌握する。
82歳 - ギーク歴 229年 国王が逝去。新国王が就任。権力がセティに一気に偏りを見せ、裏からマムルーク等元バルカムット人へ有利になるよう手を回す。
83歳 - ギーク歴 230年 アグリストII及びデニア聖誓士団が結成の挨拶に訪問。デニアが身籠っている事を見抜き出産とその後数年は子供の為に旅を控えるよう通達。
84歳 - ギーク歴 231年 アグリストIII誕生。生誕の儀式において自身の血も分け与え、王族の力を施す。
84歳 - ギーク歴 231年 他界。前国王よりも豪華な葬儀が行われた。

やられグラフィック

csaga_dead_u_013_01.png

利用mod


関連人物


  • 最終更新:2021-12-23 18:57:22

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード