海の民

概要

 一般的にはバルカムット帝国を倒すために立ち上がった、連合国軍の呼称を指す。

 連合軍の母体となった海軍はバルカムット帝国により滅ぼされたハッティの末裔で、バルカムット帝国に対して最後まで抵抗を続け、撃退に成功していた。特に海戦での戦果は非常に大きく、バルカムット帝国に抵抗を続けるその姿に最後の望みを抱いたほか民族らが集まり多国籍の軍へと成長していった。ハッティ滅亡後、彼らは元々の部隊名である海の民を名乗り続け襲い来るバルカムット帝国に対して徹底抗戦を挑み、バルカムット帝国崩壊まで耐え抜いた。彼らが拠点とした孤島の要塞ワドメアは、バルカムット帝国が長期にわたり落とし損ねた唯一の要塞であり、この長期戦による疲弊が無ければ、モーゼの反乱も成功しなかっただろうといわれている。

 モーゼの反乱により反撃の機会を得た海の民にはさらに諸外国からの援軍が送られた。言語の違いなどから大軍を裁ききれなくなった海の民ヤーニヤーは、一番多い援軍を送ってきたギークの指揮官、ヘポロテルを抜擢し、海の民の指揮権を彼女に譲った。ヘポロテルの提案により、連合軍の名称は士気をあげる為にも「海の民」がそのまま使われることとなった。しかし、この指揮権の譲渡は海の民にとって最大の失敗でもあった。

 アンデッドを使えないバルカムット帝国は弱く、瞬く間に制圧された。そして、女王セティギークに嫁ぐことで終戦を迎える。

 その後、平和になった土地にギークからやってきた人々は住み着き、いつしかバルカムット式の差別を行うようになる。元々いた海の民に所属していた人々がハッティ出身であったため、彼らをオークと呼び、当初は単なる民族の名称ぐらいの認識であったが、次第にバルカムット帝国時代の意味が混じり始め、下等な民族とみなすようになってしまう。結果として海の民はその住処を奪われ、海賊として生きざるをえなくなった。

 海の民を追い出した後、しばらくはギークの属領扱いをされていたが独立を許され、その際にバルカムット帝国に唯一抵抗した要塞、ワドメアから名前をもらい、ギークからは指揮権を受けていた時の指輪がワドメアの国王に贈られ指揮権の返還と独立と友情の証とされた。この指輪はその昔海の民のを指揮していたヤーニヤーからヘポロテルに贈られたものであり、バルカムット帝国と戦うため「ウキヤ・リッチー・ワドメア」……「ワドメアの為に死者を滅ぼさん」と彫られていた。この指輪こそ、海の民が元々のワドメアの所有者であることを示す唯一の証拠であるとして、海賊海の民の頭目となったものは代々ウキヤと名乗っている。

 彼らの悲願はワドメア内乱時に達成され、海の民はその名称そのままにワドメアの正式な海軍として迎え入れられることとなった。

ハッティ残党部隊「海の民」

 元はハッティの漁師らが武器を構え、海や河川を利用した輸送、襲撃を担当していた部隊である。

 ハットゥシャ決戦の際、一人でも多く脱出させるために一隻でも多くの小舟を作り、最低限の取っ手をつけただけの浮袋等を用意した。もちろん操船ミスなどで沈んだ船、穴が空いたため消えていった浮袋も多数あり、脱出を試みた全員の移住はかなわなかった。

 移住後、さらに追撃が発生し、披露した身体を無理やり叩き起こしての海戦が開始された。彼らにとって幸運だったのは、知性の無いアンデッドには船の操作が出来なかった事、知性の無いアンデッドは弓矢が苦手であったこと、そしてアンデッドは海に浮かばないという事。以上3点が海戦においては極めて有利に働いた。

 小舟が主体であったため、仲間の死体が操られたとしても即座に海に落とせば良く、仮に船が乗っ取られたとしても一隻の被害で収まり、船の操縦が出来ないために乗っ取られた船が敵に回るというようなことも無かった。

 逆に海の民の側は衝角をとりつけた小型の船による突撃で船底に穴をあけ、切り離して逃げるか海に飛び込んで泳いで逃げるなどの手法を用いて追撃の撃退に成功。この防衛戦によって両軍多数の船が沈められたが、これらはその後漁礁として機能し海の民の食料を支えた。

 防衛戦がひと段落し、安定した領海の確保後はバルカムット帝国領内の漁村や河川沿いの集落、輸送船などを襲撃しては離脱を繰り返しバルカムット帝国の頭を悩ませた。バルカムット帝国側からすれば彼らは海賊の一部でありながら相性の悪さから中々手を出せない厄介な相手であり、周囲の目からすればバルカムット帝国に長年抵抗している希望の星でもあった。

 祖国を奪われた恨みを持ったものが次第に集まるようになり、周辺の島々を徐々に開拓しながら勢力を広げ島以外に住む者も協力を行うなど幅広く草の根の活動で支援されていた。

 一方、海の民を勝手に名乗る賊も現れ始めたが、正式な海の民と示すものを作る余裕がなかったためそれら偽物による悪名はあえて放置されていた。

悲願の達成と吸収

 領海を守り、略奪を行い、ある時は反乱の物資を供与するなどバルカムット帝国への抵抗を継続していた海の民ではあったが、悲願である打倒バルカムット帝国には遠く及ばず、戦果こそ伸びを見せてはいたが依然として陸上での大きな成果が出せないまま数世代が経っていた。

 結局のところ占領に必要な力は陸上の戦力であり、人数の問題で小規模の戦闘しか行えない海の民では広大なバルカムット帝国に対して戦略的な勝算を立てる術がなかった。彼らが勝利するために必要な物はまとまった陸上戦力であり、その確保が不可能である以上あとは幸運を待つ他なく、皆どこかでむなしい抵抗である絶望感から抜け出せないでいた。

 ヤーニヤーが指揮を執るようになって数年、バルカムット帝国内は突如として不安定な状況に陥り始めた。モーゼの離反を契機として反乱が今までよりも頻発するようになった。これを受けて海の民への合流者が増え始める。操船の技術の無い者も増えたため連絡係や輸送の人手として誤魔化しながら迎え入れた。島が支えられる人口には限りがあったため、陸戦部隊、もしくは後方の農業などに従事する者の編成の必要性が突如として発生する。

 さらにギークから騎兵を率いてヘポロテルが合流し、海の民の戦力は突如として倍以上に膨れ上がる事となった。

 増えすぎた人員の処理、そして陸戦や陸上の内政、生産の知見に乏しかったヤーニヤーは経験のあるヘポロテル海の民の指揮を委ね、自身は戦闘の指揮に集中するよう権限を分割。ヘポロテルも客である事は十分に理解していたため、海の民を自身の民としては扱わず、あくまでも連合が上手く回るように心掛けた。

 この時指揮を譲るにあたって、指揮系統の混乱を避けるために友情の証としてヤーニヤーからヘポロテルへ、モリヤからアグリスト教団に収められ、海の民の指揮者が代々受け継いできたウキヤの指輪が贈られた。

 海の民が抱えていた陸戦の戦力、戦術は機動力のある騎馬隊が中心となったギークにより補われた。集団戦を行わない事。馬に射手を乗せて移動し、茂みなどからの一斉射の後撤退するなどの欲張らない戦い方を主軸とした結果、方面軍であるヤミの軍勢の撃退、攪乱に成功した。

 さらに幸運なことにモーゼ一行がティスティを攻略したため、最大の難関であったヤミが消滅。一時的にモーゼとは行き違い等により険悪な関係とはなったものの双方の誤解であると判明したため、良好な関係となり、ティスティ他周辺の都市も海の民に協力を申し出たためワーゴ一歩手前まで駒を進める。

 丁度このころ、モーゼティスティを攻略する前に、アグリストIIが洞窟でパハボトー隊救出のため潜入し、捕虜となっていた。客人として迎え入れられ、一連の外交の間、同じく捕虜となったイノと共に海の民との親睦を深め、バルカムット帝国に対する停戦交渉のきっかけを作った。

 停戦交渉はヘポロテルが担当し、バルカムット帝国は降伏。女王セティは妾兼人質としてギークに渡り、バルカムット帝国マムルークへと名称を変更。事後処理はギークマムルークムタヤータメとの間で行われた。

 終結した海の民は指揮権をギークに委ねたままであり、数世代にわたる戦争に疲れ切っていた事、戦闘以外の内政が全くと言っていいほど解らず為政のかじ取りが不可能と言った点からワドメアに居住していた者はギーク領となった旧ハットゥシャなどへ移住。ギークの民となった。途中から合流してきたものはそれぞれの故郷へと帰って行った。

 連合などが出来、指揮系統が出来上がった都合で領地の境目が一部あいまいになっており、指揮権を得たギークの民が事実上の占拠を行うなどで若干のもめごとが発生しており、後々の独立運動などの禍根へとつながっていった。

新生海の民

 念願がかない、ギーク領とはなっていたものの自分たちの故郷へと帰って行った海の民であったが、折角帰った自分たちの土地が、他人の土地であるという点に違和感を持つものが徐々に増え始める。それでもギークの民として生活をしていた彼らであったが、世代交代と共に徐々にバルカムット式の差別が流入し、海の民の末裔をはじめとして、ギークの生まれの者以外はオークとして侮蔑されるようになり始めた。

 特にギーク中央の権力争いに敗れた都落ちの弱小貴族らは、自身の面子を保つためにオークへの差別を積極的に利用し弾圧を加えるようになる。当然、オークはこれに反発。各地で本来の領土を取り戻す運動が盛んになり、いくつかの弱小貴族はこの運動に参加し自身の地位を高めようと画策した。

 これらの反乱に対してギークは鎮圧のために軍を派遣。鎮圧されたオークらは自然と海の民の末裔が多く暮らす旧ハットゥシャに集まり、最大勢力による反乱が綿密な計画と共に発生した。彼らはかつての拠点であったワドメアを名乗り、陸上の輸送を寸断。これによりギーク領内の物価が高騰し、ワドメアに逃げ出す者が増え始めたために慌てて停戦を申し込み、彼らの自治、独立を認め、かつてヘポロテルが預かったウキヤの指輪をワドメアに返却した。

 かくしてワドメアは独立に成功するが、一度定着した差別が消える事は無かった。戦力の中心こそオークであったが、独立を煽り、その指揮をとったのは弱小貴族らであった。さらにギークより生活の為に逃げ出し、ワドメアに住み着いた者も多数存在したために差別意識が西から東へと流入してしまった。元々為政に負けて移住してきた弱小貴族らは自身の保身のためにこの差別に便乗し、オークらの土地を奪い、彼らを賊として討伐し始める。

 イノの子孫はこの動きに疑問を持ちオークの地位を守ろうと政治的な活動を開始したが、反乱への資金提供の疑惑、ルーツをたどれば外国人等の理由から逆に力を失う結果となり、ワドメアを追い出されてしまう。貴族側の理解者が不在となった事実を受け、オークは離散。それでもなお故郷を奪取したい一部の者は海賊となり、海の民を名乗った。

ワドメア海軍へ

 ワドメアを追い出されたオークらは自分達こそワドメアの真の統治者であると主張するため、代々の王が受け継いでいる指輪に掘られた言葉「ウキヤ・リッチー・ワドメア」からウキヤと名乗るようになった。

 かつての海の民と異なり、海が敵から守ってくれるという訳でもなく、大勢からみればただの賊にすぎない彼らは旧海の民のような大勢力となる日は来なかった。それでも差別を受けたオークなどが少しずつ合流し、オークの遺品となる武器、製法などが伝わり細々と海賊活動を数世代にわたり継続していた。ただし、採掘や精錬の技術が失われていたため手入れこそ行えたが装備品には限りがある状況であった。

 自分自身のアイデンティティの為にもオークの武器を広く求め、時にはオークの集落への襲撃なども行ったためワドメア全土から彼らはただの海賊として認識されていた。そんな彼らをワドメア海軍へと再び復帰させるきっかけは、時の国王オルソンによる悪政であった。

 ギークとは表面上良好関係ではあったものの水面下ではお互いに領土拡大を狙っての牽制があり、その牽制を利用してギークワドメアも私的に活用しようと目論んだオルソンは、自身の利益の為にバルカムット原理主義の商人、アルフォンソ・ティラーハを密かに迎え入れた。最終的には全ての責任を彼に押し付けて世の中の膿を出し切った救世主を気取るつもりであったが、世の中の不満はオルソンの甘い目論見をはるかに超えて大きな物となり、大規模な暴動がいつ発生してもおかしくない状況へと悪化した。

 溜まりに溜まった不満からオルソンは暗殺され、この混乱に乗じてギークが侵攻を開始。ワドメアの防衛のため、アフロディアニケが奮戦し、海賊であった海の民も彼らに協力しワドメアの奪還に成功した。この際の功績が認められ、海の民ワドメアの海軍へと採用され海運の治安維持に貢献した。

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  • 最終更新:2020-01-07 09:56:05

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