ラ・ドゥエ
失われた海洋技術を復活させ、海の向こうへ移住して行った聖母
プロフィール
元はライゾー率いるレジスタンスの一員で、主に副官として事務方を担当していた。シナイ山での乱痴気騒ぎには参加しなかったため、モーゼの処刑は免れたが、この処刑でモーゼに対して不信感を抱き、同志を集め東方への移動を開始した。
レジスタンスとしての活動
本人は戦いが得意では無かったので前線に出るようなことはせず、主に準備等の裏方を担当した。
元はライゾーが解放して回った勢力の一員であった。丁度ライゾーが拠点の重要性に対して疑問を持っていたころに分散という保険の基本を持ち込み、この分散をベースに拠点や物資に執着しない活動方針が編み出されていった。
執着しない方針から敗走と再決起が常であり、時にははぐれ、時には再開してまたはぐれるを繰り返した。結果として二人の絆は強固なものとなり、ライゾーの右腕として活躍するようになった。
一か所に物資が集まれば戦略的価値が産まれ防衛の価値、攻略の価値が出るが、対バルカムット帝国に対して防衛は困難。なら小規模で少人数向けの備蓄を分散させて、拠点も使い捨てにすることで戦略的価値を下げ、防衛を減らそう。そうすれば生き残る確率は少しずつ増えていくんじゃないか。
ライゾーとラ・ドゥエはその敗走と再会のなかでお互いにこの認識を持つようになり、抵抗勢力が共通して使える小規模な施設やその場所を示す暗号を作成していき、ライゾーはその備蓄を利用しての襲撃、ラ・ドゥエは戦利品の分散をそれぞれ担当した。部隊の大きさも大規模になれば動きも鈍く攻められやすくなるため、一定以上の人数になると分散し、それぞれが独自の活動を行い、極力つながりを持たないように意図的に距離が離された。分散の繰り返しは全土に広がりをもたらし、稀に小規模でも手が回らずに反乱に成功するという事案を発生させ、オークらの希望となっていった。
ライゾーの処刑と離脱
モーゼと合流後、ラ・ドゥエはダナーンと協力して補給路の確保に努めた。少なくともシナイ山までは群れの人間関係は良好であったと言っても良かった。しかし、シナイ山到着後、モーゼが新たな力を得るために龍討伐に出てからは徐々に綻びが目立ち始める。
発端はライゾーが持ち込んだイノシシとその宴会だった。気晴らしのためにと催された宴会で、その場で狩ってきたイノシシを使っていたためダナーンもしぶしぶ了承したが、これまでの抑圧からの解放感から宴会が催される頻度が徐々に高くなり、群れはその備蓄を徐々に崩して行った。
最初の数回はラ・ドゥエも参加していたが、自分たちが集めた食料の使い道に不満を覚え参加を控えた。同じく参加を控えた者たちとともに別の食料基地を作るなどの独自行動の準備を取り始める。群れの危機を感じ取り、分散の発想が無意識下で頭を持ち上げたのだ。
食料基地の分散は一部の者と内密に実行された。漏れればジリスが手を付けると考えたためである。予想通り宴会の規模は日に日に大きくなり、ダナーンによる連日の抗議も効果を失っていた。そしてとうとう群れからの離脱をジリスは宣言する。麓で待機していた群れ全体が、この宣言により離脱に巻き込まれる結果となった。
ラ・ドゥエは自身の決断を遅らせたことを後悔していた。このまま群れに残るか、独自に一派をつれて離れるか、それとも留守を預かるダナーンにつくか、いずれかの判断はもっと早くできたはずだと。迷いの原因はライゾーであった。ともに長い間手を組んで戦った同志を見捨てられなかったのだ。
なんとかライゾーをジリスから引き離す算段を考えている間にモーゼが帰還。宴会をしていたジリス、ライゾーを襲撃し、宴会の参加者全員の死を宣言した。モーゼの処刑宣言に対しダナーンは命がけの懇願を行い、一部首謀者のみの死刑で決着とし騒動は一旦収まった。
この一件はモーゼが居れば防げた事件であり、万が一モーゼが急死した場合、同様の事案が発生すると考えたラ・ドゥエは群れの離脱を決意。ライゾーの処罰に不満を持ったオークを率いて自身の思いをダナーンに打ち明けた。
魔の島へ
豊富な資源、食料、島であるため他勢力から襲われにくいなどの立地条件から腰を据えて海洋技術の開発研究には最適であると判断した彼らは現地人と交渉しながらの生活を選択した。奴隷生活で培われ、盗んできたバルカムット帝国の建築技術による仮拠点建設の速さや、他の動物からの襲撃時の戦闘力の高さなどから現地の人々には歓迎された。
当初は当然身振り手振りでの交渉であったため物資の交換も人の交流も難航したが、元々彼らオークは言葉も習慣も異なる別の国から奴隷として寄せ集められた人々である。ある意味では世代を超えて受け継がれたいつもの出来事であったため、気後れするようなことは無かった。
特にラ・ドゥエは人懐っこい性格でもあったため、自ら進んで言葉を覚えたり、子供たちに小物づくりを教えるなど誰よりもこの交流生活を楽しんだ。
彼らの持ち込んだ外来の言葉や習慣は現地の言葉と上手く混ざり合い新たな文化の土台となって行った。
落ち着いた土地での研究、特にお互いの言語の整理は本人らが本来持つ言語の整理にも役に立ち、その中からいくつもの海洋技術のヒントが発見されていった。そして長い年月を経てついに大陸間の往復に成功した彼らは希望者を募り東の大陸へと移住していった。
3回の往復の後、嵐に等よる座礁や、度重なる応急処置等の影響で船の老朽化が進んでおり、4度目の往復には耐えられないと判断されたため、4度目の片道の出航が最後とされた。以後移住者のその後はバルカムット地方には伝わっていない。人々が返ってこなくなったことを理由にラ・ドゥエを龍扱いし、実は新大陸ではなく異界に移住したとするような噂も発生し、伝承、伝説として魔の島に定着した。「技術をもたらした御使い」として土着の精霊らと同様にレイノルにて祭られている。
余談であるが、後日魔の島と交流を持ったある神学者がメタトロンに数えられているラ・ドゥエが精霊としても祭られている事実を知り、モーゼにはアンアニ以外の龍の加護が発生していたと余計な誤解を伝え、この否定には非常に長い時間を要する結果となったがそれはまた別の話である。
年表
?歳 | セティ 第64年 | ライゾーに率いられて反乱に参加。鎮圧、逃亡を繰り返しては再起を繰り返し独自の分散を考案。ライゾーに採用され、下地を作る。 |
?歳 | セティ 第67年 | 先行して潜入したダナーンに暗号を伝え、ダナーンと共に若干の改良を加える。ライゾーと共にモーゼが救いに来るという噂の流布の活動を開始。分散の発想からわざと嘘を流す。 |
?歳 | セティ 第68年 | 別動でダナーンの護衛になったライゾーの代わりにオークらの窓口に。実質メタトロンに近い扱いとなる。 |
?歳 | セティ 第69年 | シナイ山にてジリス、ライゾーが連日の酒宴。当初は参加したが違和感を覚えたため独自行動で食料品を分散して隠すようになる。 |
?歳 | セティ 第69年 | ライゾー、ジリスが処刑。ライゾーの処刑に不満を持つ一派を連れてモーゼ一行から離脱。東を目指す。 |
?歳 | セティ 第69年 | 移動中、ゾンビに襲撃されるなどの被害を受け、モーゼがティアマットとなったことを知る。ダナーンの募兵に応じたいと申し出た一部の者に目印を伝えて離脱を許可する。 |
?歳 | セティ 第73年 | 魔の島の対岸に到着。近隣の村に一時的な労働力を提供する等をして船を調達し島への上陸を検討。 |
?歳 | セティ 第74年 | 魔の島の東端が拠点とするには良いと結論を出した一行が上陸を開始。現地民との交渉を開始し、仮拠点を建築する。 |
?歳 | セティ 第77年 | 東端に到着。途中交流や輸送のための中間地点が必要と判断されたため、中継拠点を2つ作成。土着の精霊の名前からライヒ、アライメンと名付けられる。 |
?歳 | セティ 第77年 | 東端の拠点で船作りを開始。先住民より水の精霊と遊ぶ人達としてミーミルと呼ばれるようになり、拠点名とする。かつての伝承、口伝を再整理して東から来た民がいかにしてわたって来たかを検証開始する。 |
?歳 | セティ 第78年 | 小型の船での遠洋の実験。食糧問題等をいかに解決するか頭を悩ませる。 |
?歳 | セティ 第79年 | 口伝から起こした船第一号が完成。マスト一本の帆船であったが操船の技術が未熟だったため船底に大穴を開けて座礁する。 |
?歳 | セティ 第80年 | 航海の実験と共に地図の作成を開始。北にダナーンらの集落を見つけたとの知らせを受けて直接訪問。船の技術を伝える。 |
?歳 | セティ 第81年 | ダナーンらの集落より返礼として荷物が到着。ダナーンが直接訪問し雷斬雷造が一旦返却されるが、ライゾーの遺言を尊重したいとして返却を辞退。交易と交流をお互いに約束し、集落間の友好を深める。 |
?歳 | セティ 第85年 | 徐々に航海の距離を伸ばし、航海技術を進歩。伝達のため体系化が進められる。 |
?歳 | セティ 第95年 | ダナーンの投身自殺を受けて葬儀に参加。 |
?歳 | セティ 第97年 | 東方の大陸との往復に成功した船が出る。第二便に搭乗し、以後は不明。 |
やられグラフィック
利用mod
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関連人物
- 最終更新:2022-03-06 11:52:36