マムルーク
男性の奴隷を由来とする国名。前進の国を救った奴隷戦士に敬意を表し付けられたもの
概要
命名時、パハボトーやムタヤータメを始めとするセティに後事を託されたとされる一派の殆どがアグリストIIとの関わりの深かったものであったため、それなりに強い反発があった。元々セティの舵取りに不満のあった層はバルカムットを再び名乗り反乱を起すことがしばしばあったが、ツィドユウ討伐隊らによって制圧が繰り返された。
正当な後継
年表
降伏の際、文化形式として半ば属国となる事からバルカムット式の暦のつけ方、為政者の名前+年数の数え方は禁止され、ギーク形式の建国年数での数え方が適用された。一応独立国家であると認められたため、ギークの建国年数を基準とせず、マムルーク発足からの計上が許された。
マムルーク歴 1年 | バルカムット帝国が降伏。敗戦処理のためムタヤータメによる暫定政府が立ち上がる。バルカムットの名称の使用を禁じられたためマムルークに変更。イノがギークに召喚される。ギークの要請を受け、ヤミを攻撃する。 |
マムルーク歴 2年 | ティスティにてティアマットが討伐され、アグリストII、デニアが帰還。 |
マムルーク歴 3年 | アグリストIIとデニアが初の遠征(シナイ山)から帰還。聖誓士団が発足する。 |
マムルーク歴 3年 | ギーク国王が逝去。セティの圧力により交渉が有利に回り始める。 |
マムルーク歴 4年 | 交渉によりギークからアテンを奪還。首都をアグンヌからアテンへと移行。 |
マムルーク歴 4年 | 周辺の小勢力に対する独自の吸収合併が認められる。事実上の独立へ。 |
マムルーク歴 5年 | アグリストIIとデニアが聖誓士団の結成をエル・ダナーン及びギークに報告。デニアが身籠った事がギークにて判明したため留め置かれる。 |
マムルーク歴 6年 | ギークにてアグリストIII誕生。セティより生誕の儀式を受ける。 |
マムルーク歴 6年 | セティ逝去。ギークでの葬儀の後、遺品の一部がマムルークに持ち帰られ2度目の葬儀が行われた。 |
マムルーク歴 17年 | 聖誓士団の人気、権力が強すぎ、公私を混同しているのではないかとの指摘が出される。 |
マムルーク歴 22年 | アグリストII及びデニアが死去。デニアが無作為に生き返らせた食材により多数の死傷者が出る。聖誓士団への非難の声が高まり関係者への増税が決定される。 |
マムルーク歴 28年 | アグリストIII襲名。 |
マムルーク歴 46年 | ムタヤータメ逝去。 |
マムルーク歴 49年 | アグリストIII引退。エボンフラムはアグリストIVへ。 |
マムルーク歴 271年 | アグリストIV引退。エボンフラムはアグリストVへ。 |
マムルーク歴 274年 | アグリストVがエボンフラムの浄化に成功。聖誓士団解散。 |
関連
- 最終更新:2021-12-23 18:37:11