マムルーク

概要

 バルカムット帝国解体後、アテンを中心に発展した国家。一部オークの言葉で「男性の奴隷」を意味する言葉が由来。命名はパハボトー。最後のバルカムット人であるアグリストIIに敬意を表して付けられたもの。

 解体時に自治組織は複数産まれたが、セティムタヤータメに後事を託したため、徐々に周囲を吸収合併しながら拡大を続けた。

 当初はムタヤータメが統治していたアグンヌが中心となっていたが、そもそもが実験都市であり、首都機能や交通の便などから、早い段階でアテンへと実権が戻る形となった。

 命名時、パハボトームタヤータメを始めとするセティに後事を託されたとされる一派の殆どがアグリストIIとの関わりの深かったものであったため、それなりに強い反発があった。元々セティの舵取りに不満のあった層はバルカムットを再び名乗り反乱を起すことがしばしばあったが、ツィドユウ討伐隊らによって制圧が繰り返された。

 考えを改めるもの、それでも受け入れられないもの様々あり、敗戦もマムルークも受け入れられないものはギークへと渡り、セティに何度も相談を持ちかけた。彼らはバルカムット原理主義という思想の原型となる。

正当な後継

 海の民及びギークからは敗戦処理の正式な窓口として指定されたため、バルカムット帝国の正式な後継国として周辺には認識されている。

年表

 降伏の際、文化形式として半ば属国となる事からバルカムット式の暦のつけ方、為政者の名前+年数の数え方は禁止され、ギーク形式の建国年数での数え方が適用された。一応独立国家であると認められたため、ギークの建国年数を基準とせず、マムルーク発足からの計上が許された。

マムルーク歴 1年 バルカムット帝国が降伏。敗戦処理のためムタヤータメによる暫定政府が立ち上がる。バルカムットの名称の使用を禁じられたためマムルークに変更。
マムルーク歴 2年 イノギークに召喚される。
マムルーク歴 3年 アグリストIIデニアが初の遠征(シナイ山)から帰還。聖誓士団が発足する。
マムルーク歴 3年 ギーク国王が逝去。セティの圧力により交渉が有利に回り始める。
マムルーク歴 4年 交渉によりギークからアテンを奪還。首都をアグンヌからアテンへと移行。
マムルーク歴 4年 周辺の小勢力に対する独自の吸収合併が認められる。事実上の独立へ。
マムルーク歴 5年 アグリストIIデニア聖誓士団の結成をエル・ダナーン及びギークに報告。デニアが身籠った事がギークにて判明したため留め置かれる。
マムルーク歴 6年 ギークにてアグリストIII誕生。セティより生誕の儀式を受ける。
マムルーク歴 6年 セティ逝去。ギークでの葬儀の後、遺品の一部がマムルークに持ち帰られ2度目の葬儀が行われた。
マムルーク歴 17年 聖誓士団の人気、権力が強すぎ、公私を混同しているのではないかとの指摘が出される。
マムルーク歴 22年 アグリストII及びデニアが死去。デニアが無作為に生き返らせた食材により多数の死傷者が出る。聖誓士団への非難の声が高まり関係者への増税が決定される。
マムルーク歴 28年 アグリストIII襲名。
マムルーク歴 46年 ムタヤータメ逝去。
マムルーク歴 49年 アグリストIII引退。エボンフラムアグリストIVへ。
マムルーク歴 271年 アグリストIV引退。エボンフラムアグリストVへ。
マムルーク歴 274年 アグリストVがエボンフラムの浄化に成功。聖誓士団解散。

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  • 最終更新:2019-09-04 11:25:17

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