ツィドユウ討伐隊

概要

 ツィドユウが封印された遺跡より不定期に表れるアンデッドを討伐する常駐部隊。歴史は古く、母体となった組織を含めるとバルカムット帝国建国前にまでさかのぼる。

 伝説的なアンデッドツィドユウが強大な力で、生きた人間、死んだ人間、生き返った人間、あるいは家畜などあらゆるものに対して略奪、実験を繰り返す研究所が地下に存在した。が、これらの行為に頭を抱えた周辺地域の住民が協力し合い、そもそもツィドユウが出てこられないようにと研究所の上にフタをかぶせたが、当然ツィドユウは怒り、そのフタを破壊した。

 このフタの設置、および設置後の警戒に当たった有志による防衛部隊がツィドユウ討伐隊の原型である。フタの建築に対して、ツィドユウはその妨害のために多数のアンデッドを送り込んだ。彼女の操作は非常に強力で、労働力として使役していたアンデッドが奪われるのみならず、知性あるアンデッドですらその知性を奪われるほどであった。よって、生きた人間が対応せざるを得なかった。

 フタは設置されては破壊されを繰り返していたため、中身は迷宮のように入り組んでいる。危険を承知で修復に当たったり、あるいはアンデッド用のトラップ設置なども試みられ、これらの護衛にも彼らは抜擢されていた。

 当初は周辺都市が金を出しあい兵士を送っていたが、人が集まったことにより次第に兵士目当ての商人が集まり、一つの集落へと変化していった。経済的に自立できるようになった時点で、ツィドユウの遺跡への防衛は集落から抜擢されるようになった。ただし、外部からの志願は常に受け付けており、一獲千金を夢見て討伐隊に参加するものも多くいた。

 長い年月の戦いの戦いと増改築で、忘れ去られた死体などもあり、彼らの装備品は戦利品として持ち帰られ、売却され武器や防具、建材へと生まれ変わっていった。多くの者がツィドユウに挑んでは破れ、戦いの影響で崩落した部分、通行が不可能になった回廊などが産まれては地図が更新され、増築が繰り返されてきた。

 この増築はバルカムットを名乗る青年がアンデッドを使役してツィドユウを封印するまで継続された。

ツィドユウ討伐後

 ツィドユウ封印の成功により、明らかに弱体化をみせたアンデッドに対して過剰な戦力は不要であるとして、前身となる防衛組織は縮小が行われた。しかし、それでもなおアンデッドの操作は暴走し、知性あるアンデッドは体の不調を訴えるなどの怪異は継続されたため、警戒は必要であると考えられたため周辺都市から志願したものが派遣される昔の体制へと巻き戻された。

 この体制はバルカムット帝国が誕生し、周辺都市を一つの行政として組織立てるまで続けられた。

 バルカムット帝国誕生後は定期的に討伐を行うツィドユウ討伐隊が編成され、周辺都市からの直接の負担は軽減されることとなった。

 なおフタ部分の増築こそ行われてはいないが、学術研究者の護衛などで内部の修繕は不定期に行われていた。

セティ統治時代

 バルカムット帝国建国後、ツィーツィの洞窟は数少ない生身の戦闘のみを強制される場であったため、精鋭の抜擢はもちろん、不慣れな新兵を少数混ぜた実戦訓練の場としても活用されていた。セティの統治時代となると、アグンヌが近いこともあり改革に同意する層を多めに採用するようになる。

 彼らはモーゼの大規模反乱を取り逃したセティに対する見限りや離反、反乱に対する貴重な戦力となり、特に対アンデッド戦では無類の戦果を誇った。もともと数多くのアンデッドを倒してきた経験と実績から投擲網やボーラなど手足を絡めとる装備の練度が高く、これらの装備は生きた人間にも有効であった。

 海の民との敗戦後、彼らは思想的、地理的な経緯からアグンヌの指揮下へと入った。アンデッド無しでの戦闘に慣れ、さらに戦術の研究が盛んだった討伐隊は周辺の反抗する勢力との闘いでも大きな戦果を上げ、マムルークが正統なバルカムット帝国の後継であると知らしめる重要な役割を担った。

 ただし定期討伐との両立は難しく、また洞窟のアンデッドもかなりの落ち着きを見せていた。これらの事情と予算、人員への負担を鑑みた結果、討伐隊は精鋭の正規兵の扱いとなり討伐は放棄された。洞窟はハッティから伝わった鉄を使ったフタに加え、巨大な墓を作成して物理的に埋める方策が採用された。

 一見山と勘違いするこの巨大な墓は作成のために多くの人員を必要としたが、内需の拡大に大いに役立ち、マムルークの立て直しに大いに貢献した。

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  • 最終更新:2018-09-10 11:10:47

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