サイプラス

概要

 バルカムット帝国解体後、敗戦処理のために多くの土地が切り捨てられ空白地帯となった。

 戦勝国であるギークマムルークを後継とみなし外交を行ったが、その処理に不満を持つものなどは空白地帯へと移住し、数多くの集落が産まれては消えていた。気が遠くなるような合併と解体を繰り返し、絞り込まれた共同体がサイプラスである。

 当初はバルカムット人によるバルカムット式の統治であっったため差別も強く存在したが、1世代もしないうちに、彼らの差別はアンデッドによる労働力が下地であったという事実を認識し始めた。元々バルカムット帝国の領地は大半が砂漠であり不毛の地である。厳しい自然環境に対抗する手段としてアンデッドは有効であったが、その使役量を失った状況下においてはお互い手を取り合って協力せざるを得なかった。

 結果として、バルカムットの死体使役は反感が強いため子に受け継ぐ者は減り、バルカムットの死体保存術は死者への経緯を示すものとして受け入れられた。このため、あらゆる死体にきちんとした防腐処置が施され、死体が起因となる疫病の類はかなり少なく、副産物として町中も非常に清潔である。

 伝統的にヒューマンの男性を必ず国家元首に据えているが、これは旧バルカムット帝国に対して、同じくヒューマンが元首であっても同じ過ちを犯さないと否定を投げかけるためあえてそのような形態がとられている。これにより、エルフ自治区とは友好な関係を維持できており、交流も盛んである。

年表

 バルカムット帝国の伝統を強く受け継いでいるため、当初は為政者の名前+統治年数が用いられてきた。しかし他の地域との統合等を繰り返すうち不便さが露呈したため、ギーク歴を取り入れ記録の再編が行われた。

ギーク歴 225年 バルカムット帝国が降伏。内乱により空白地帯となった地でサイプラスが都市を占拠する。
ギーク歴 226年 周辺都市との領土の争奪が勃発。飲み水に恵まれたため人口拡大に成功する。
ギーク歴 228年 聖誓士団が発足。一部国民が団員として参加。
ギーク歴 231年 セティ逝去。マムルークでの葬儀に代表が参列。
ギーク歴 234年 マムルークと国境が接する。緊張が高まるが、サイプラスで内乱が発生。再度分裂を起こす。
ギーク歴 236年 厳しい自然環境及び、アンデッドが使えない現実からバルカムット式の差別を継続する余裕がなくなり始める。人材不足等から、徐々にオークエルフが出世を始める。
ギーク歴 237年 マムルークツィーツィの洞窟における巨大なフタ(山状の墓)の建築が完了させる。
ギーク歴 238年 周辺勢力の吸収時、維持の困難さから無理に領土を保持しない方針が決定される。同時に現状も縮小の方針が打ち出され、行政区画が再編される。
ギーク歴 241年 辺境の資源地ではあるが、初のオークの領主が誕生する。
ギーク歴 242年 オークに続きエルフの領主が誕生する。
ギーク歴 243年 元首が自身のやり方に限界を感じ禅譲。国名はそのまま引き継がれる。
ギーク歴 243年 新元首によりオークエルフの土地に同種族が集まる傾向が問題提起され、両者の領地が入れ替えられる。
ギーク歴 244年 民族間の交流を推奨する政策が発表される。同時に過去のバルカムット帝国への批判が元首より語られる。
ギーク歴 247年 家柄よりも実績が評価されるようになり、実力主義の傾向が強くなる。不満を持ったヒューマンによる反乱が勃発し、内乱に。
ギーク歴 256年 オークエルフの活躍により内乱がほぼ鎮圧。不毛の地においやられたため一部の首謀者は餓死するなど、戦う力を失った反乱軍は降伏を申し出る。
ギーク歴 257年 降伏を受け入れ、再度統一。
ギーク歴 258年 二代目国王が逝去。三代目が王位を継承。この際軍功のあったオークが後見人となる。
ギーク歴 261年 後見人のオークによる専横に不満を持ったエルフヒューマンが反乱を起こす。
ギーク歴 265年 反乱は鎮圧されオークがさらなる力を持ち実質の国王に。
ギーク歴 269年 反乱を起こしたエルフの残党により後見人のオークが暗殺される。この功績をもって残党よりエルフに恩賞が与えられる。
ギーク歴 271年 自身の実力のなさが内乱を発生させたとし、実力主義をより徹底させるため国王も人種を問わず能力の高いものを選ぶべきであるという案が、三代目から直接提案され議論になる。
ギーク歴 275年 反乱の残党が主張した「血筋は何物にも代えがたい才能で実力である」「乱は後見人が原因」という意見が強い支持を得、また「ヒューマンが元首であって初めてバルカムットを力強く否定できる」とする二代目の遺志が発見されたため、以後、王族のみを国王とし、王族にはヒューマンしか認めないとするルールが制定された。
ギーク歴 277年 アグリストIVが訪問。外交の使者ではなかったが、これを機にマムルークとの国交正常化が提案され、交渉のテーブルにつく。
ギーク歴 279年 ツィーツィの洞窟への支援等がまとめられ、マムルークとの国交が正常化。記念として聖誓士団の支部が公認される。
ギーク歴 285年 三代目、貿易の拡大の為ギーク及びエルフ自治領との交渉を開始。この際、旧来の暦とギーク歴との再計算が面倒であった為、ギーク歴を採用し再編が提案され議論に。
ギーク歴 293年 ギーク歴の採用が決定。再編が開始される。三代目が重病に倒れる。
ギーク歴 294年 三代目が逝去。三代目の長男が四代目として王位を継承。長男、次男の仲がよろしくなかったため紛争が発生。
ギーク歴 296年 四代目が紛争の指揮中に流れ矢で戦死。勝利を確信した三代目の次男が五代目として王位を継承。東の地にて四代目の残党による抵抗が継続され内紛が続行。四代目の息子が自称五代目として立てられ東西に分かれる。
ギーク歴 302年 ツィーツィの洞窟への人足提供者が東側であったためマムルークはそちらの支援を表明。
ギーク歴 314年 長く続く内乱を憂いた五代目の長女により五代目が暗殺。暫定的に六代目を名乗り東西統合の和平交渉を開始する。ただし戦闘は継続され、東側の領土は瞬く間に削られていった。
ギーク歴 317年 交渉がまとまり東西合併。半端にある権力が災いの元であるとして、東側の自称五代目の長男に七代目として王位を継承させ、原則として議長を務め国賓をもてなす役割等、元首の側面の強化がなされ首脳としての権限はそのほとんどを剥奪された。
ギーク歴 329年 エルフ自治領との交渉開始。
ギーク歴 331年 自称五代目が逝去。
ギーク歴 332年 六代目がエルフ自治領へ嫁ぐ。国内からは降伏の証と批判され、エルフ自治領からは不要な年増と批判される。
ギーク歴 335年 エルフ自治領にて六代目が手腕を発揮。年増から賢母へと評価が変わる。
ギーク歴 337年 エルフ自治領にて六代目が子を出産。
ギーク歴 352年 六代目逝去。
ギーク歴 359年 七代目が逝去。長男が八代目として王位を継承。エルフ自治領にて誕生した六代目の子が王位継承権を主張。
ギーク歴 362年 協議の結果、六代目の子の主張はエルフ自治領でも支持を得られず国外追放の処分となる。ギークに渡りバルカムット原理主義の過激派となる。
ギーク歴 363年 武力衝突に発展しかけた経緯を鑑みて王位継承権を男系のみに絞るよう議題が提出される。
ギーク歴 368年 王位継承に関する議題が承認される。
ギーク歴 371年 聖誓士団経由でギークとの交易が開始される。海運が盛んに。
ギーク歴 374年 領土の取り扱いについて、男系の皇族を増やす都合で仕組みの改善を迫られる。特に実績のない皇族に封土を奪われた貴族の不満が高まる。
ギーク歴 376年 反乱が発生。事態を重く見た八代目が単身交渉に赴き両者の橋渡しを行い、人的被害を極端に低く抑える事に成功。再度交渉のテーブルにつき制度を暫定的に元の物に戻される。
ギーク歴 377年 八代目逝去。長男が九代目に就任。議論をまとめきれず再度反乱が発生する。
ギーク歴 380年 跳ねっかえりであった八代目の三女が反乱に担ぎ上げられ再度東西に分裂。マムルークは前回同様、ツィーツィの洞窟への人足提供者を支援すると表明。九代目がいち早く提供したため、西側につく。東の反乱軍は包囲される形になる。
ギーク歴 385年 ツィーツィの洞窟の人足となっていた部隊が造反。反乱側の部隊であると主張を展開。マムルークは正式な発表は九代目であるとしたものの、静観を方針とすることに。人足部隊はツィーツィの洞窟を離れ反乱軍へと合流。
ギーク歴 388年 三女の方が議論を纏められると感じた諸侯が増え、反乱軍の勢力が拡大。九代目側の降伏で反乱は幕を閉じる。十代目に三女が就任。男系を維持するため婿探し。人足部隊の首謀者が三代目の傍系であることが判明したため迎えられる。
ギーク歴 389年 内紛の元となった領土の取り扱いについて協議が再開される。
ギーク歴 393年 無条件で領土を取り上げられたために起こった反乱と結論が出される。皇族は各地に教育の為派遣されるものとし、実務経験を積みマナー等を学ぶ制度に変更される。当初ヒューマンだけとする案であったが三代目の傍系がエルフオークの文化も学ぶべきと提案。また、権力の癒着を軽減するため3ヶ所ほど巡るよう提案が出され、ヒューマンエルフオークにそれぞれ派遣されるよう整えられる。
ギーク歴 399年 十代目の婿の血統が怪しいと一部の者が問題提起。反乱発生までは至らなかったが、十代目の子らは念のため王位継承権を自ら返上。十代目は九代目の孫から次の元首を直接指名し、万が一に備えて予備候補を4名記し、封印した。
ギーク歴 411年 十代目逝去。予定通り継承権第一位が十一代目に就任。
ギーク歴 415年 皇族が増えすぎると諸侯の負担が増えるため、人数制限の案が出される。
ギーク歴 421年 皇族は4系統までとする案で結論が出される。また、元皇族は独自に男系維持を努力し、万が一に備えるよう指示が出される。
ギーク歴 422年 疫病により十一代目逝去。まだ子がいなかったため兄弟から十二代目が選ばれる。昨年制定した皇族の規定、及び十代目の予備候補から外れた選択として物議を呼ぶ。
ギーク歴 423年 十二代目がストレスに負けて皇位を返上したいと主張するが、皇位であるため許されず。議論が定まるまで十二代目を強要される。
ギーク歴 424年 心労により十二代目が逝去。子は自由の無い役職とする認識から辞退。事前に定められた4系統の皇族から1名が選出され十三代目就任。1系統不在が発生したため、元皇族から復帰する者を公募する。
ギーク歴 428年 より活発な交易の為、聖誓士団の活動を後押しし交易ルートの安全化を図る。一部オアシスが要塞化される。
ギーク歴 430年 新興の宗教が流行り始める。背後にバルカムット原理主義の影が見られたため国外追放が検討されたが、聖誓士団でもあったため処理に手間取る。布教を禁止する方針が取られた。
ギーク歴 434年 ギークとの交易等で聖誓士団内部に散見されるバルカムット原理主義の活動が乗り越えてきた差別を再び生みかねないとする懸念がヒューマンの重臣から出され検討に入る。関税が上がる方向で話がまとまる。これにより聖誓士団サイプラスより南への交易ルートが広げにくくなる。
ギーク歴 436年 関税が差別思想の流入に対する決定打とはなっていないとの指摘が上がる。再度議論がなされるが結論は出ず、定期的な検証が開始される。
ギーク歴 439年 教育の問題であろう、とする方向性で差別への議論がまとまる。識字率の上昇を目指し、差別を克服してきた歴史、自然環境との闘いなどをしっかりと教える場の作成が望まれる。
ギーク歴 445年 貴族毎に行われていた教育の内容の精査が開始。数年単位で貴族の子らを教育する施設の開設に向けて準備が開始される。
ギーク歴 451年 教育に対する議論が進まないためカルラ(当時は別名)の協力を得て内部を調査。六代目の子の子孫が煽動していたと発覚し、勢力を締め出す。ギーク経由の関税が強化される。
ギーク歴 452年 十三代目が引退。長男が十四代目を継承。以後、高齢になった元首の引退が認められるようになる。
ギーク歴 454年 十三代目が逝去。遺体の処理について十四代目が疑問を提示するが、風土としてこの処理法が適切であると説明し理解を得る。同時に停滞していた教育の問題について十四代目が強く関心を抱き整備が進むようになる。
ギーク歴 463年 十四代目主導の元、教育機関の制度が取り急ぎ完成。一部貴族向けに実施され問題点の洗い出しが行われる。
ギーク歴 466年 教育制度の検証および維持費の検討から徐々に拡大が可能であろうと考えられたため、対象となる貴族を拡大。十四代目は全寮制を希望したが人質であるという指摘を受けたため数か月に一度、1週間ほど集まって授業を行う方式が採用された。
ギーク歴 467年 教育制度において毎月の集合が地域によっては非常に負担であるとする指摘から、地域毎の分校の設立か全寮制かの検討がなされ、全寮制を実験的に実施する。
ギーク歴 468年 全寮制の実験を打ち切り、地域毎の分校制の実験を開始する。
ギーク歴 469年 両実験の結果一長一短がみられたため十四代目の強い要望により最もコストのかかる地域毎の全寮制の実験が開始される。
ギーク歴 470年 全寮制+地域毎の物が最もコストがかかるが成果は高かったとして、まず3ヶ所で学校の建築が始まる。少人数の集団生活が予定され徐々にその規模を拡大するものとされた。
ギーク歴 472年 各地にて開校。通えない層への教育を推進するため、私塾の設立が推奨される。
ギーク歴 472年 十四代目逝去。子が病死していたため皇族から十五代目が継承される。
ギーク歴 473年 十五代目の素朴な疑問から、教育への投資が多すぎてバランスが悪いのではないかと議論になり。予算縮小へ。熱心な十四代目の支持者から猛烈な反発を受ける。縮小された予算は支持者が有志で捻出がなされる。
ギーク歴 477年 教育の効果の検証がなされ、全体的に生産の向上が見られたため予算が徐々に拡大される方向でおちつく。
ギーク歴 480年 大規模な砂嵐により甚大な被害が発生する。ツィーツィの洞窟がこの砂嵐により、山の部分が破損、削られ埋もれてしまい行方不明となる。マムルークと連携しこの辺りだったと思われる場所を発掘するが空振りに終わる。また、人員を用意できるほどの余裕もなかったため発掘作業の継続が困難となり、アンデッドが出現しやすい危険地域として周辺の移動を避けるよう告知が出された。
ギーク歴 482年 教育にて扱われている内容に偏りがあるとして一部から反発を招く。
ギーク歴 486年 マムルークによりツィーツィの洞窟が再発掘される。この間、大きな被害が出ていなかった点などからよりしっかりとした封印で良いのではないかとする合意がなされ、以後、監視をマムルークが担当するとして決着した。
ギーク歴 487年 復興の際、教育を受けた層が自発的に小規模の教育を施し、各地の教育レベルが少し上がる。
ギーク歴 489年 教育を望む声が強くなる。ただし予算の都合でそちらまで手が回らないジレンマがあり説得に時間を要する。民間組織がいくつか立ち上がる。
ギーク歴 499年 聖誓士団解散。一部の参加者がバルカムット原理主義にそのまま移行する。
ギーク歴 503年 十五代目が高齢の為に引退。十六代目に継承が行われる。
ギーク歴 504年 バルカムット原理主義が他の商業集団をカモフラージュに流入開始。六代目の子の子孫の活動により、かつての版図を取り戻さんとする意見が主流となりサイプラスも重要候補として標的に。国内にて貧困層を対象に差別意識が植え付けられ始める。

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  • 最終更新:2019-08-21 12:43:09

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