ギーク

概要

 バルカムット帝国を滅ぼした国として一般的に知られる。

 ギークの民はヒューマンとされることが多いが、これらの区分はもともとバルカムット帝国が制定したもので、バルカムットに住む人をヒューマン、バルカムット以南の森に住む人をエルフバルカムット以北の人々をオーク、一度死んで生き返ったものをアンデッドと呼んでいた。よって、本来の区分からするとギークオークと呼ばれるはずであったが、バルカムット帝国と国境を接しての交戦がなかったためオークと呼ばれず、ヒューマンと称するようになった。

 バルカムット崩壊時、元女王であったセティを迎え入れたことで、多数のバルカムット人が流入。次第にバルカムット化されてゆき、オークエルフを差別するようになっていった。その最たる例がワドメアであり、ワドメアに住む人の記憶からすらオークが暮らした歴史は消えていってしまった。

 バルカムットの傷跡が癒える頃にはギークから各地へと人が流れてゆき、バルカムット地方の交易ルートなどが成立していき、賑やかな地方へと生まれ変わっていった。

 なお、バルカムット原理主義の発祥の地でもある。

海の民への合流

 まだバルカムット帝国が健在であった頃、バルカムット地方における北西の端がギークの立地であり、当時のバルカムットから見ればド田舎であった。果ての地でありながらもバルカムット帝国の脅威は伝わっており、これに何とか抵抗をするためにまずは情報収集と伝達速度の精度が求められ、移動手段としての馬術が大いに発展を見せた。

 馬術の発展は特殊な兵科を産み出し、陸戦において騎馬による突撃の突破力は少数を相手にする際には大きな戦力となった。一方で集団戦には若干弱かったが、脱出の速度はアンデッドの足では到底追い付けるものではなかったため生存率は高かった。

 相性は良くもなかったが悪くもなかったギークは、定期的に一部の兵士を傭兵として援軍を派遣し独自の騎兵の練度を高めていっていた。同時に陸路で徐々に迫りくる脅威に対抗する手段をなんとかして得ようと、情報収集、戦術の分析などを積極的に行っていた。しかし、生存者の証言にはムラが大きくこれはあまり成果を上げることはなかった。

 ハッティ陥落後、ギーク内は降伏派と抗戦派に分かれ様々な意見交換が行われた。偵察の報告も奥地まで入ったものはほぼ確実に戻ってくることが無く、降伏した際にどのような扱いを受けるかまでは正確に伝わってこなかった。逆に歪んだ情報は良く届き、例えば外交において降伏の使者が女王セティの歓待を受け、性的に骨抜きにされて帰ったり、バルカムット人は男女を問わず他地域よりもスケベなど、下世話な話は良く届くようになった。

 この下ネタは時の国王の興味を大いにそそり、女王セティをあわよくば我が物とせんが為、降伏派の主張を押し切り徹底抗戦が国の方針となり、総指揮にはヘポロテルが抜擢された。

 援軍派遣などでバルカムットの強さを伝え聞いていたヘポロテルは国王の動機にあきれ果てたが、抗戦の為に立てていたプランとして海の民への全力支援を実行に移す。対アンデッド戦において最も高い戦果をだしたハッティの残党であり、海戦により唯一侵攻を食い止め、かつ、襲撃に成功している勢力だったためである。

 連合として合流を希望したヘポロテルであったが、ヤーニヤーヘポロテルが国の代表であったことに気を使い、彼女に指揮権を預け代表とした。これにより、ギーク海の民の一部となったが、体裁にこだわる政治屋は、総指揮をもったギーク海の民を吸収したと理解して批判の矛を収めた。

 他勢力との交渉において、無傷であったギークと侵攻を食い止めていた海の民の連合は大きな説得力を持ち、特にモーゼによるティスティ解放後、反バルカムット勢力は数を増し、陸戦兵力を増員させた海の民により上陸戦ともに陸の別動隊による攻城が実施されワーゴが陥落。湾岸部は警戒を強めるが、アンデッドの使えない海上戦に加え、戦力からアンデッドが離脱していたため陸戦の防備もままならず、バルカムット帝国は降伏を決断した。

 総指揮をとっていたギークが降服の窓口として交渉に挑み、女王セティを人質及び、妾としてギークに移住する、バルカムット帝国そのものの縮小、その他細々とした交渉はムタヤータメを窓口とすることなどで合意した。

バルカムット文化の流入

 ギークでは人質となったセティを慕う者や、新しいバルカムットが受け入れられない者が少しずつギークに移住を始めたことで、他文化の交流が一気に盛んになり始める。以前から海の民との交流もあるにはあったが、定住する海の民がほぼいなかったためと戦時中であったためそれどころではなかった。

 元々海の対岸に位置していた両国は、戦時中こそ陸路での回り道を強いられたため文化交流には時間がかかったが、両国の関係が良好になり、お互いの出入りが多くなれば必然的に文化交流は盛んとなった。また、聖誓士団に加入している者の拠点として貿易、商売が盛んに行われた事も文化交流に拍車をかけた。

 結果として偶然ではあるがオークと呼ばれなかったギークは自らをヒューマンであると認識するようになり、オークという言葉はハッティで生活していたであろう民族を指す言葉へと変化していった。しかし不幸なことに差別意識はそのまま徐々に浸透していき、ギークの民はオークを差別するものが増え始める。

 この差別に対して怒りを覚えたオークらはギークからの独立を希望し、一部過激なものは内乱を起こすなどの暴挙にでた。同時にギーク中央から権力争いに敗北した弱小貴族らは、オークの感情に便乗し、結果としていくつかの地域がギークから分離、独立を達成した。

 ギークは平定、吸収を何度か繰り返したが、ワドメアのみあまりにも大規模であったためこれを断念。「友情の証」としてヘポロテルが預かっていた指輪を返し、ワドメアを兄弟国として渋々認定を行った。この後、兄弟国であるワドメアの庇護により独立する小国が増えたため、ギークの国土は1/3まで縮小してしまう。

 ギークにとってこの国土縮小は屈辱であり、貴族らの中には失地回復を主張する物が少なくない。また、この感情論はバルカムット原理主義の恰好の隠れ蓑となっており、お互い持ちつ持たれつの関係となっている。

ワドメアへの侵攻

 ギーク国内において、バルカムットとの戦争終了直後の海の民の版図こそギークの版図である意見が一部貴族の中で根強く、力強く繰り返し主張がされてきた。中でもワドメア奪還は悲願であり、ワドメアが奪還できればかつての領土を再度手に入れることができると強く信じられている。

 ワドメアの国王がオルソンの代、年を取って為政のかじ取りが怪しくなったワドメアは内乱の時代を迎える。不満の溜まっていたところに国王暗殺事件が発生し、好機と考えた民衆が一斉蜂起。この混乱に乗じてギークは部隊を派遣し反乱を後押しした。

 アフロディアニケ両名の指導によりこの侵攻は阻止されたものの、ワドメアギーク間に戦乱の火種を残した形となり、以後、表面上は仲が良くとも水面下での工作が続く関係となった。


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  • 最終更新:2018-12-21 13:36:24

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